ずっとずっと思っていて。
ずっとずっと悩んでいて。







「あたし、ここに居て良いのかな」
「……何それ」
「ううん、何でもない」







無意識に呟いていた、その台詞。
あの時はどうしても気恥ずかしさを覚えてしまって、そう誤魔化してしまったけれど、そこに込められたあたしの気持ちに、一体彼は気が付いただろうか。








dear*rain*drop










「はぁ……」







そんな会話をした、2日後。
嫌になるくらい静けさが目立つ1人でいる家の居間の中で、あたしは溜め息をついていた。片手で、最近新調したばかりの木製のテーブルに頬杖をつきながら。
丁度、昼間だった。太陽もこれからが本番だ、と言わんばかりに日差しが強くなってくる。外からは、この天気の良さにも負けないくらいの子供たちのはしゃぎ声が響いてくる。はしゃぎすぎて、時々大人が窘めている声も聞こえてきていた。
そんな頃なのに────自分でも、わざわざこんな内に篭って、尚且つ灰色の息を吐いているなんて、すごく不毛だと思った。何時ものように、この天気に身を任せるかのような行動をすればいいじゃないか、頭の中でそう主張する声もしていた。けど、どうしても今はその意見に乗れなかった。今は、こうして外界の様子と対立するような気分で居たかったのだ。そうして考えたかったのだ。
今の、24歳になったあたしの状況について。この今の暮らしについて。
現在住んでいる家は、あたしの実家ではない。この平屋は、雲雀恭弥という、時には自身が創立した風紀財団の委員長として、時にはマフィア・ボンゴレファミリーの雲の守護者として多忙な生活を送っている彼が建てたものだ。そしてそんな彼とあたしの関係は同居人兼……幼馴染というものだった。これを言うと必ずと言っていいほど友人、知人に「え、まだ結婚してなかったっけ!?」と大袈裟に驚かれるのだけれど。
結婚……そもそもその前に、彼はあたしのことをどう思ってるんだろうか。頬杖をする手を入れ替えながら、思う。
あたしは彼のことを特別な意味で好きだし、それは向こうだって知ってる。はっきりと訊かれるし、あたしもちゃんとした言葉で返してるから。でも、あたしが直接的な質問をしても、彼は断定的な言葉ではくれないのだ。何時も肝心なところは上手く流されてしまう。
大事には、されてる。それは自覚がある。あんな極端な性格をしているから、余計にそれは分かっていた。今のこの生活だって。ほぼ強制的に連れてこられて始められたものだけど、考えてくれてるんだなってところはいっぱいある。だけど、それが一体どの感情でなのかは……。見えない。霧がかかっているみたいにどうしてもその部分を見ることが出来ない。
そしてそれに加えて、いやそれ以上に辛いのは。
あたしがここに居る価値があるのかとか、ちゃんと役に立っているのかで……もしあたしにしか出来ないことがはっきりとあったら、それを『支え』にすることは出来ただろう。しかし正直なところ、自分のことは大抵自分で出来る人だし、そうでなくても彼には沢山の部下が居るからどうにかなるのだ。あたしが居なくて困る、大きな穴が空いてしまうということにはならないと思う。というか、むしろ相手が居なくて困惑するというのはあたしの方だろう。毎日のサイクルに支障をきたしてしまうのはあたしの方だろう。気持ちの問題でも────情けないことに生活の中においてもそうだった。一応大人になって、出来ることは多くなったとはいえ助けられてばかりだから、何時も。何時も。
じゃあせめてパワーをあげたい、少しでもと思ってるのに、なんだか結局のところ貰ってばかりだし。そうしてあたしは、痛いほどに感じてしまう。
何となく、何となくだけどあの人はあたしなんて居なくても生きていけるんじゃないか?
あたしはただ単に、邪魔になってるんじゃないか?
ただ小さい頃のまま、だらだらと来てしまってるだけなんじゃないのか?
あたしがダメだというだけで、彼に何の影響もないのでは。
もしも、そうならば。
そこまで言ってまたあたしは、深い谷底に思いっ切り突き落とされたかのような悲しみに浸る。しかしこれが現実だ、そうあたしの中で囁く声がした。曖昧さに流されるままというのはある種、はっきりとした言葉で切り離されるよりも辛い。腐って何時切れるか分からない綱で繋いでいるようなものだ、とも思う。生き地獄、言いようによってはそうともいえる。
今、あたしはどうするべきなのか。
微かに揺れる木漏れ日、何故か遠くの方で聞こえる名も分からない鳥の鳴き声、地面へと重力に逆らわずに落ちていく薄く汚れてる羽根。
それさえも手から零れ落ちていってしまいそうで、あたしはそのままテーブルに突っ伏した。あぁ、今どうしようもなく迷子だ。あたし。







***









「はわっ!」







その時ぽつ、と突然頭へと一滴の雫が当たった。
かと思えば次の瞬間派手に破裂したかのように大粒で激しい雨があたしへと叩きつけられて────たまらずあたしは走り出した。雨宿りが出来そうな場所へと。
あれから。あたしは家を出て近所を徘徊していた。それはこのまま家に居てもどうしようもない、やっぱり暗い中に閉じこもっていたら、やがては部屋の一部になってしまいそうで怖いと思ったからだ。身体を動かしたら、もしかしたら何かが変わるかもしれない、そんな祈りにも似た気持ちからだった。それだけだったというのに。
全く、酷い仕打ちだ。
走りながら見つけた、所々変色している古めかしいトンネルに迷わず駆け込み、すぐ振り返り空をそっと見上げた。
さっきまでは、何の屈託も無く晴れていたというのに。雨が降るなんて、天気予報では言ってなかったのに……本当に、天気予報はあまり当てにならない。これなら、天気予報を真面目に見たって見てなくたって同じじゃないか。自分の勘だけで、あぁきっとこうなるだろうと予想して外れた方がまだ納得出来るよ。
と、そんなことをぶつぶつと思いながら、濡れて額に気持ち悪く引っ付いている前髪の雫を落としながら左右に分けた。そしてなんとなく、本当になんとなくあたしが入ってきたのとは反対の出入り口に視線をやった。そうしたら。







「……恭弥?」







そこに、コンクリートの壁に背を凭れて立っている、恭弥の姿があって。あたしは素直に吃驚した。
何時からそこに居たんだろう。あっちはそんなにあたしに驚いていないところを見ると、随分前から此処にいたのかもしれない。あたしに気が付いてたのかもしれない。そう思うと、なんとなく負けたような気がしなくもないのだけれど。
それにしてもこんなタイミングでここで……偶然ってやっぱりあるもんだなぁと、のんびり思ってしばらくじっと彼を見ていた。そうしたら、あることに気がついた。







「濡れてる」







そう言って彼の元へと駆け寄って、何時も通りタオルで────いや今はポケットからハンカチを取り出して、彼の、雫が落ちてくる髪や水分を吸ってしまったスーツを、自分も濡れている状態だということを忘れ急いで拭こうとしたのだけれど。







「いい」







もう少しで触れる数センチ手前、彼が目を閉じ若干低いトーンでそう言うから、あたしはその手を引っ込めた。
もっと早くに気が付けば良かった。突然降ってきたこの雨のせいか、恭弥は少し機嫌が悪かったのだ。
まぁ濡れて気分がいい人ってあんまり居ないよなぁ。思いつつ、行き場のない手をゆっくりと下ろし、彼からちょっと距離を置いて同じようにコンクリートの壁に背を預けた。顔は、またどんよりとした雲に一面を覆われている空へと向けて。
なんだよもう、と何かに当たってしまうのは昔からの彼の癖だし、それはあたしも共通する部分があるから、その気持ちが分からなくもなかった。それは一種の甘えだということも分かってた。でも早く拭かないと風邪引いちゃうのに……。しかし同時にそう思う部分も、勿論あった。本人が嫌、と言っているから無理に事をするのはいけないと思うのだけれども、でも後々体調を崩してしまって苦しむのは彼なのだ。それを放っておいて良いのかも。本人は自分で拭く気はなさそうだし。でも。
そうまた迷子になって、上手く話すことも出来なくなってしまって、それきりあたしも黙ってしまった。そのまま時間は過ぎていく。だんだん、雨は幾分か弱くなってきた。そうしてあたしは、ふと思う。
辺りは静けさを保っている。現在はしとしとと小さな音を立てている雨は相変わらず降り止まない。まるで、ここと他の場所を区切っているみたいに。
なんだか2人して遭難したみたいだ、とそう思った。それかここだけ不思議な力に包まれていて守られているみたいだ、とも思った。あたしは兎も角、この人にあまりその言葉は似合わないけれど。
そんなことを考えて、あたしは思わず少し笑ってしまった。
そうしたら。そんな様子に目敏く気がついた彼は多少ピリピリしながら。







「何笑ってるの」
「別に」







バレたくなくて、笑いながら適当に言ったその台詞。
でもきっと追及されるんだろうなぁ、いつもみたいに……と直後そう思ったのだけれども、それに反して恭弥はそれ以上は何も言ってこなかった。珍しい。
でも多分納得していないんだろうなぁ、ちらりと見た横顔は歪めたままだから。視線はまだ向けられたままだから。本当は多分「『別に』じゃないでしょ、何なの一体」、そんな風なことを言いたいんだろう。本心は訊きたいんだろう。だけどそうしないのは────勝手にいい方向に解釈してもいいんだろうか。気まぐれではなく、興味がないわけでもなく、そうしてくれているんだと、思っていいんだろうか。
瞬間、自然と口元が緩んでしまう。
たまには、こんな状況も悪くない。2人して濡れるのも、遭難者になりきるのも。
あたしは、だんだん心の中のもやもやが晴れていくのを感じた。柔らかく暖かさに包まれていくのを────暖かさ?
そういえばさっきから腕の部分が暖かい。そう思って見てみると、そこに明るく透き通った光が当たっていた。なんだろう、と疑問に思いその発信源である外へと、三度天へと目をやった。すると。







「あ……」







そうあたしが呟くのとほぼ同時に、近くにあった葉から露がすっと落ちてアスファルトへと染み渡った。
雨はぴたりと止んでいた。今までのが嘘だったかのように。そして太陽が雲の切れ間から顔を出していた。何時の間にか。あれは気まぐれな通り雨だったらしい……そして、それだけじゃなくて。







「虹だ」







大きく大きく空に架かる、綺麗な七色の橋を見つけた。しかもそれは、二重になっていて。
感動して思わず子供みたいな声を上げる。見てはいないけれども、きっと今のあたしの頬は赤に染まっているだろう。いや、断言してもいい、絶対なってる。でもそれを気にしているよりも、あたしとしては素直にその虹が綺麗だということを感じていたかった。そのありのままに宿る感情を嘘や我慢したりすることで汚したくなかった。原石のままの状態を、残しておきたかった。
その瞬間だった。あたしの脳裏に何か光るものがあった。この感じ、昔あったような気が。この雨上がりの虹もそうだけど、もっと、もっと本当にこの雰囲気に近いものが……そうしてそれを一生懸命自分の中に探した結果、ある記憶がはっきりと蘇ってきた。







“どうしてこんなことするのかとか、どうしてあたしが必要なのかとか、分かんないよ!”







かつて今にも泣き出しそうな顔をしながら、それでも自分の思いを必死に叫んだあの時を。
それは確か、10年くらい前、あたしがまだ中学生だった頃だ。時期は丁度、今と同じだったと思う。
その頃の生活というのは、毎日放課後になったら、当時は風紀委員長だった恭弥に、もはや彼の城と化していた応接室に強制連行され、それから彼が仕事を終えるまでじっと、それはまるで空気のようにその場に居なければならないというスタイルだった。始めは、それで良かった。けどだんだんと、その中で自分の主体性ってものが失われていく不安に蝕まれていってしまって。結果、あたしはまだ幼かったんだろう、そのどうしようもない感情を、別のことで発散させたりそれを解決するための違う抜け道を探すパワーにすることも出来ず、彼にぶつけることしかできなくて……でも言った瞬間、歪められた恭弥の顔を見てすぐ後悔して、その場の空気に耐えきれなくなってしまって、逃げ出してしまった。当てもなく。バカ、あたしのバカ。何でこんなことしか出来ないんだろう……。心の中で何度も自分を責めながら。そうして外で闇雲に走っていたら、途中で雨が降り出して。しかもそれは結構な強さだったから、あたしは参って適当な場所で雨宿りをしていた。そうしてしばらく経って、恭弥がそこにやってきてくれて。迎えに来てくれて。
そこまで記憶のテープを見た時、あたしははっとした。
何で今まで忘れてたんだろう。
ずっとずっと、大切にしてたはずなのに。昔はよく思い出していたのに。これから先は、何があってもこれだけは何時も記憶の一番上にあるだろうって、思って疑わなかったくらいなのに。
でも、記憶ってそんなものかもしれない、と思ったら少し切なくなった。途端に悲しくなってしまった。それでも、どこかに宿ってさえいれば。あの日と全く同じにはならないけど、輝きを持って目の前に現れてくれる。きっとそれでいいんだ。そう思った。
元気を取り戻した太陽が、眩いほどの日光であたし達を照らしてる。







、帰るよ」
「あ、うん……って、え?」







帰る?帰るって。
さっさと歩き出しながら突然にさも当たり前という風にそう言った彼に、あたしは戸惑った。声も思わず宙返った。だって、そんな流れにどうしたら……あれ?そこで漸くあたしは気がついた。そういえばそもそも何でこの人はこんな所に居たんだろう。まぁどうせたまたまだろうとか何とか、思っていたのだけれど。
そう不思議に思っていると。
恭弥はあたしのすっとんきょうな声を聞いて歩みを止め、再び不機嫌な表情でしばらくあたしをじぃっと見つめて。







「全く、手間掛けさせないでよね」
「え……」







顔を思いっきり反らされながら、ぶっきらぼうに紡がれたその言葉。
もしかして、あたしを迎えに来たの?あの時みたいに。あの頃と変わらない理由で。
そう思うとすごく嬉しかった。じわっと、あたしの心に暖かさが染み渡る。そしてそれが、全ての答えだと分かった。
だから、あたしも。
先に歩きだしていた彼に向かって駆け出して、そして隣まで来たとき。あたしは柔らかい笑みを浮かべながら今の、精一杯である。







「ありがとう」







その台詞の直後。別に、と言いつつそっと握られた右手から、変わらない想いが不器用にも伝えられたのは、きっと気のせいではないだろう。








(その言葉を、あなたに伝えるから)2010.06.26◆Yui








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