────あの日。
勇気を振り絞ってあたしに気持ちを伝えてくれた貴方に、
あたしは何も言うことが出来なかった。
あたしは何も、返事をすることが出来なかった。
その時はまだ、胸の内の、己自身の『答え』に気が付いてなくて。
……ねぇ、貴方は今、元気ですか?
貴方は今、何処に居ますか?
貴方は今、何をしてますか?
そして……貴方は今も、あの日のこととあたしのことを、覚えていますか?








無限回廊に降りて










「はぁ……」







今はもう所々に星が散りばめられている頃。会社から自宅への帰路を歩んでいるあたしは、そんなゆっくりとした、まるで洞窟の奥の方から吹き抜けてくる風のような深い深い溜め息を1つ、出来損ないのプラネタリウムみたいな夜空に滲ませた。────あれから。あの、少なからず青春したり、悩んでたりしてた学生時代を通り過ぎて一体もう何年になるのだろう。気が付けばあたしは、泣いて許されるような時期に別れを告げていて、1つの区切りを越えていて……こうしてかつて両親と云うフィルターを通して見ていた社会人の一員となっていた。お陰であたしは、毎日毎日仕事に追われあれやこれやと働かせられ、たまに上司をぶつかったりする……そんな生活を送っている。今日もそうだった。春からの新入社員だとかで色々ミスしまくる子をフォローするのに大忙しで────ひゅううぅっ。急に吹きつけるような勢いの北風がやって来て、あたしの身体全部を冷却していった。……ただでさえ疲れきっていて歩くのも必死だって云うのに……もう冬は終焉を迎え、世間一般では『春』と定義される季節の真っ只中だっていうのに、夜の方はこうしてまだ寒さが残っている、そんな事実に悲しみにも似た感情を覚えながらも、着ている、この間のささやかな休みのときに買ったばかりのモスグリーンのジャケットの襟を掻き寄せて、再び遠く感じる家への道のりを歩いていこうとした。……けれど、







「本当、疲れたー……」







その最中、ぽつりと呟いてしまった自身の本音の塊みたいな台詞に、身体は途端に鉛みたいに重くなり、それまで辛うじて前進していた足は止まってしまった。────何を、何をやってるんだろう、あたし。こんな、さえない日々を過ごして。こんな、エンドレステープを再生し続けているような時間の中に居て。勿論、それが自分で選らんだ生き方と云えばその通りなんだけれども、でも……何か違う、何かが可笑しいって心が叫んでいる。知ってるよ、矛盾だって。矛盾だらけの感情だって。知ってるけど────そんな自虐めいたことを人知れずやっていたら、何だかどんどん沈んでいってしまって(心も、身体も)仕舞いにはすぐ横にあったコンクリートの壁に凭れ、そのままずるずると腰を落としていった。要は、地べたに座り込んでしまったということで。







「ふぅ」







……あたし、本当に何やってるんだろう。崩れてしまった体勢を直そうという常識的な考えを実行する気力もなく、あたしはその姿勢を保ったまま頭上の空を見上げ、そこにぼんやりと思い描く────あたし、年齢的にはもう大人になったかもしれないけど、周りを支配している時間は止まらずに進んでいってるけど、『あたし』は昔からちっとも変わらないの。子供の頃のままなの。ある一定の歳で止まったままなの。だからあの時だって……中学生活最後の日、卒業式のときにそれまで友人だとばかり認識していた獄寺に……獄寺隼人に告白された時だって、どうしていいか分からず、半ば逃げ出す形でその場を去っていってしまって……本当はあたしだって獄寺のこと好きだったのに、その時はそれに気が付くことが出来なくて。それを漸く自分の中に宿ってると認知したのは、それから約1年後のことで。……ねぇ、本当にあたし、間違いだらけなの。間違いを繰り返してばかりいるの。その度に1人凹んだりして────あれ以来連絡取ってないし、今何処で何してるか知らないけど……ねぇ、獄寺。あたし、あの時言えなかったけど貴方のこと、好きなんだよ。もうあれからかれこれ10年以上経つのに、貴方のことはっきりと覚えてるし、今もずっとずっと、その気持ちは変わらないんだよ。でも……もう遅いって分かってるから、あたしはただ、ひっそりと想い続けてるね。貴方がこの世界のどこかで元気にやってるって、そう信じながらこの先も生きてゆくね。だってそれがきっと、今のあたしが貴方に出来ることだから────







「──オイ」







……と、そんな思考をめぐらせていたら。突然、この静寂な世界を突き破るかのような声が聞こえてきて────それだけならまだ良い。それだけなら『ありふれた出来事』として済まされる。だけれどもその声は……丁度今、問題の題材になっていた人物、獄寺隼人のものと酷似していて……いや、まさかそんなわけないのに。そんなこと、都合良く起こりうる筈ないのに……結局のところ、その(多分)あたしに対しての呼びかけを無視する形で片付けようとした。の、だけれど、







「無視すんじゃねぇ!」
「あいっ、た……!」







次の瞬間、そんなぶっきらぼう極まりない台詞を言い放たれるのとほぼ同時に、あたしの頭にかなりの衝撃が襲ってきて────流石にもう気のせいだとか幻聴だとかとは思えなくなったあたしは、その発信源であろう、自身の左側へと視線を向けた。……そうしたら、







「ったく、てめぇは変わんねーな、そういうとこ」
「はぁ!?」







「何それ、もしかしてけなしてるの!?」、「久しぶりだっていうのに、第一声がそれ!?」、「変わんないって、言われたく無いんだけど!!」────それら全てか、あるいは全くもって別の台詞だったかもしれないけど。でも結果として先程の言葉の後には何も発せられることはなく、あたしはただただ驚きを隠せずにいた。────何で、何で獄寺がこんな所に。何でこんなタイミング良く、あたしの前に現れるの?あの時酷いことしたあたしの前に、姿見せたりするの?……嬉しさと戸惑いと、混乱を交えた複雑な気持ちを手に余らせていて、呆然と目を見開いて獄寺を見上げているあたしに、彼は少し呆れるような笑いを浮かべたかと思えば、直後、あたしに合わせるようにしゃがんできて、








「なに?」
「オレはまだ、あの時のてめーの返事を聞いてねぇ」







……何を、一体獄寺は何を言ってるのだろう。いや、言ってることが何を指しているのかはちゃんと分かってるんだけど……どうしてそれを今、わざわざ訊いてくるんだろう。普通ならば、もう10年以上前のことなんて忘れてしまっているか自分の中で終わりだと決めつけてしまっているかしてるのに……1年の10倍もブランクがあったって云うのに、そんなことを尋ねてくるなんて。……ねぇ、もしかして獄寺も、あたしと一緒だったの?あたしと一緒で、ずっとずっと覚えてたの?その気持ちを抱えていたの?もし、もしそうならあたしは────そう、あの時には分からなかった感情と無かった勇気を、何時の間にか丸めていた拳にぎゅっと握り締めて、真剣な瞳をしてる獄寺を真っ直ぐに見つめて、







「あのね、」







そう1つ前置きの言葉を口にしてから、あたしは最大限の勇気を振り絞って獄寺の胸の中へとダイブして、







「大好き」







そしたら獄寺は、1つ笑みを零しながらも、あたしの背中にゆっくりと腕を回してくれて、







「オレの方が……大好きだっつーんだよ、バカ







────そうしてあたし達は、10年間交わされることのなかった口付けをする。








(時は過ぎても、この想いは)2009.04.13◆Yui



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