あの霜焼けの手をつと伸ばして、勢よく左右に振つたと思ふと、忽ち心を躍らすばかり暖な日の色に染まつてゐる蜜柑が凡そ五つ六つ、汽車を見送つた子供たちの上へばらばらと空から降つて来た。










蜜柑










決して初めてな訳じゃない。でも必ずインターホンを押す前に深呼吸をしてしまう。そして震える手でインターホンを押すのだ。
「こ…こんにちは!」
「あらちゃん!こんにちはー。ツッ君なら部屋にいるわよ。」
「あ、はい。ありがとうございます!」
蛙の子は蛙…あ、蛙はトノサマ蛙で。優しくて綺麗なお母さん、綱吉君とそっくりだと思う。
トントンと小さく音をたてて階段を駆け上がる。今日は一緒に課題をする約束をしていた。格好良い綱吉君だけど勉強は苦手みたいでいつもは獄寺君に教えて貰うらしいんだけど文系教科は苦手ですいませんの役に立てません(獄寺君外国育ちらしいから仕方がないと思うけど…)とか何とかで、そう言う時私に「お願いできる?」と両手を合わせてくることがよくある。私も飛びぬけて勉強ができる方じゃない。寧ろ中の中。だけどそれでもいいよ!と綱吉君が笑っていってくれるからそれがすごくうれしい。だからなるべく分かりやすく丁寧教えれるように一生懸命教えた。。私も分からないところは二人で悩んだりもした。楽しかった。こんな日が来るなんて、きっと付き合う前の私には想像がつかなかったと思う。
「あ、いらっしゃい!」
「うん。今日は国語だったよね?」
綱吉君の部屋のドアを開けると待ってましたと言うように綱吉君が私を見て笑った。
「そうそう、えーと……なんて読むのコレ?」
「えっとねー…あ、『みかん』だよ。」
週末の課題として全クラスで出されたもの、それは教科書にある短編小説『蜜柑』を読んで原稿用紙2枚分の感想を書くこと。小学生みたいな課題で先生の意図がいまいち読めないけど出されちゃったんだから仕方ないよね。
「えーと、ある曇つた冬の日暮れである。……つた?」
「昔の文章だもんね…たぶん曇っただと思うよ。」
「へぇ……プラツトフオオムは―…プラットホームのことだよね?」
「うん、そうだよ。」
そうしてゆっくりと私たちは話を読み進めていった。










横須賀発上りの二等列車に乗っていた「私」と共に汽車に乗っていたのはみすぼらしい格好をした少女だった。私は日ごろの疲れによる苛立ち、さらにトンネルに入った瞬間窓を開ける少女への怒りによって不快感はどんどん積みあがっていく。少女を叱りつけようとしたその瞬間、トンネルを抜けて視界が晴れる。そして私はそこにいた子供たちに5つ6つの蜜柑を落とす少女を見るのだった。それによって私は少女が弟であろうこの子供たちと別れて奉公先に向かっているのだと理解したのだった。
簡単にいえばこんな話…かな?要約苦手だから自信ないけど。
「…結局よく分かんなかったんだけど。」
「まぁ難しい文章だよね。」
胸の奥がもやもやした。この文章の奥には何か隠れてる。そう思うのにそれが何なのか掴めない。手を伸ばしてもするりと抜けてしまう感じでこの感覚はあんまり好きじゃない。だけどそれを除けば文章自体はすごく綺麗で…すとんと胸に落ちる言葉が心地よかった。

「私…好きかも。」
「へ?」
びっくりしたように綱吉君は私を見た。その顔は少しだけ赤い。
「女の子が蜜柑投げるところとか、すごく綺麗だと思うの。」
「あ、あぁ!ミカンね!そうだね…綺麗なのかもしれないね!!」
焦ったように言葉を紡ぐ綱吉君に首をかしげる。私何か変なこと言っちゃったかな?も、もしかして変なこと言ったせいで軽蔑…されちゃった、かな?嫌われたらどうしよう。
「ご、ごめんね…。」
とりあえず謝る。ごめんね、だから嫌わないで。そんな私の思いとは裏腹に綱吉君は驚いた表情で私を見た。
「えぇ!なんで謝るの?!」
「ツナがダメツナだからだぞ。」
自分の声とは違う、独特な声。ふと重みを感じた膝を見るとそこにはリボーン君が座っていた。
「リ、リボーン!!お前何処に座ってんだよ!!!!」
「見たらわかるだろ?の膝だぞ。」
「だからそうじゃなくて…」
「かわってやんねーぞ。」
「っ……!!!」
この二人の会話は面白いなあ。そう思い始めたのはそんな昔のことではない。普段は朗らかでにこにこな綱吉君だけどリボーン君といると激しい突っ込みを繰り出す。意外な一面?それともこっちが素顔なのかな?どちらにしても好きだからいいんだけど…って何考えてるんだ私は!!
「ツナ、。ちょっと表に出ろ。」
「はぁ?なんでだよ。」
「なんでもだ。家の前に立っとけ。」
よく分からないけど有無を言わせないリボーン君。綱吉君と私は頭にハテナマークを浮かべながらもその言葉に従った(綱吉君はすごく渋々だったけど)
「ったくリボーンのやつ何するつもりだよ。」
「た、多分、きっと何か考えがあるんじゃないかな…?」
そう言いながら綱吉君の家の前に出た時だった。
ばさりと音がして上―――ちょうど綱吉君の部屋の窓のある所を見るとリボーン君が立っていた。手には風呂敷らしきものがあって何か投げたみたい。丁度夕焼けと重なって見えにくいけどなんとか眼を凝らしてみる。

「……あっ」

それは何個かの蜜柑だった。表面の橙色が夕日に染まって少し赤みを帯びたまま私たちの上にばらばらと降りて来た。
重力に逆らうことなく掌にすとんと収まった蜜柑を見た。綺麗な橙色…綱吉君の、色。
ちらりと隣を覗き見ると綱吉君は驚いた顔で蜜柑を見ていた。何を考えてるかなんて分かんないけどその顔を見るだけで幸せになれた。
「綱吉君。」
「あ、何?」
「蜜柑…食べよっか。」
両手で握りしめた蜜柑を持ち上げて笑った。
ついさっきまで嫌われたらどうしようとか考えていたのが嘘のように心がすっきりしてポカポカしたあったかいものが心を包んでいた。


「そうだね…食べよう!」


「私」の気持ちがなんとなくだけど分かった気がした。













2009.8.4
芥川龍之介「蜜柑」より一時抜粋