どんなに頑張っても埋められない距離があって
追いつきたいのに追いつけない君の背中を
私は何度見送るんだろう
そう思うと自然に涙が溢れ出た
Una Promessena
家族三人での買い物に行くことなんて、ほとんどなかった。
お父さんはいつも夜遅くまで仕事をしていて、帰宅するのはほとんど私が寝入った後だったし、お母さんもお父さんほど忙しくはないが毎日仕事に追われている。家事や買い物は、いつも私の仕事だった。
それがある日、偶々二人の休暇が重なって、せっかくだからみんなで出かけようということになったのだ。出かけるといってもお金に余裕がない家庭だったから遊園地とかそんな豪華なところには行けない。ただ近所の市場や少し洒落たお店を覗く程度の、ささやかなものだった。だけどそれでも私にとっては、日常の中の非日常で飛び跳ねて喜んだ。毎日一人で通る道が、両親がいるということだけで輝いて見えたのだ。
「ここの木馬、すごくかわいいんだよ!!」
「本当だな、よし、今度父さんが作ってやろう!!」
「ほんとに?!」
「あぁ、約束だ。」
「うん!!」
「あら、この洋服かわいいわね…確か似た柄の布が家にあったから今度作ってあげましょう。」
「え、本当?!じゃあここが少しフワフワした感じのがいいな…できる?」
「ふふ、お母さんに任せなさい。」
「やったー!!」
決して裕福じゃない。だけど、それでも、私にとっては幸せな毎日だった。これからもずっとこの日常が続いて行くんだと、信じていた。
なのに、どうしてだろう。
笑い声に混じる、発砲音と急ブレーキの音。
店に突っ込んできたのは車で、辺りにガラスや木や何か分からないものもたくさん飛んできた。咄嗟に目をつぶった私が感じたのは、暖かなぬくもりと、背中からの微かな痛み。
いつの間にか閉じていた目を開くと、さっきまではきれいに飾られた商品がそこら中に散らばっていた。
立ち上がろうとしたら、何かに滑って転んだ。
「…お、父さん……お母、さん……?」
掌は夕日のように赤く染まっていた。
「はぁ…はぁ………」
荒い呼吸を繰り返した。
頬を汗が伝い、ふかふかのシーツにシミを作る。あぁ、せっかく真っ白で綺麗なのに汚してしまった。そんなことを頭の隅で考えながらも汗を拭うことはしない。身体が金縛りにあったかのように動かなかった。
ディーノが遠いところの学校から帰って来て(正確には逃げて来たとかリボーン君が教えてくれたけど、本人の懸命な誤魔化しのせいで詳しくは分からない)ボスとなり、同時に私が彼の屋敷で生活をするようになって、数カ月がたっていた。慣れないことばかりで戸惑いを隠せない私に、この屋敷の人たちは嫌な顔もせず優しく教えてくれた。こんな優しい場所で育ったから、ディーノはあんなに暖かいんだなと何度納得したことか。最初はここでの生活が怖かった、だけど同時にディーノに少しずつ近づけていると肌で感じられるのが嬉しかった。森の中では分からないディーノの姿が間近で見れることが嬉しかった。広すぎでどうしようと思ってた部屋にも、沢山の服や小物が増えたし(使い方が分からないものが多いけど)森にいた頃も発見尽くしの毎日だったけれど、ここに来てからは更にそれが多くて、その微妙な変化が楽しいと感じるようになって来ていた。
なのに、
(どうして今頃…あんな夢、見たんだろう)
森にいることは、たまに見ることがあった夢。お父さんとお母さんの、最期の記憶。あの頃はこの夢を見ると少しだけ幸せだった。
夢の中でしか、もう会えないから。そう思いながらも少し悲しくて泣いた。
だけど、今は―――
「ふっ……う…」
ぼろぼろと目じりを涙が伝った。あぁ、またシーツが汚れてしまう。だけど止めることはできなかった。
この涙は、あのころとは少し違うと思う。
両親の死はもう乗り越えた。悲しくないなんてことはないけれど、過去を嘆いても仕方がないから、明日を生きるために振り切った。そのことを後悔なんてしていないし、むしろ良かったんじゃないかと思っている。
だって、ディーノに会えたから。
あそこで生きることを諦めていたら、ディーノに会えなかった。私の人生を変えてくれたのは彼ただ一人なのだ。そう思うほど、彼のことが大切で、大好きでたまらない。
だからこそ、涙があふれて止まらない。どんなに私が彼を想っていても、私とディーノの間には大きな溝がある。それがディーノを困らせていることだって、知っている。
私は、車に乗れない。
車を見ると、先ほどの夢ほど鮮明ではないけれどあの時の記憶がよみがえり、気絶をしたり、吐いてしまったりしてしまう。今の世の中ではごく当たり前の乗り物に乗れないなんてこの世界では生きていけない。何度も乗れるよう努力した。だけど、その度に体は異変を伴い、同時に苦しみが襲ってくる。
そんな私を見てディーノは無理するなと優しく抱きしめてくれた。そんなディーノに私はただ謝ることしかできない。彼の隣を歩きたいのに、追いつきたいのに、地上の見えない落とし穴に嵌ってしまったかのように抜けられない。迷惑を掛けたくてこの屋敷に来た訳じゃないのに。
「…?泣いてんのか?」
そこまで考えた時、すぐ上から声が聞こえてびくりと体が震えた。
聞くだけで安心する、大好きな声…この声の持ち主は、一人しか知らないかった。
「ディーノ…、何でここにいるの?」
確か今日はボ…ボンゴラ?だっけ?そんな名前の同盟ファミリーのところでパーティって聞いたから。パーティの日はいつもべろんべろんに酔っぱらってしまうらしく、ロマーリオさんたちとホテルに泊まってから、屋敷に帰って来るはずなのに。
「なんか今日はあんまり気分じゃなくてよ…それより、どうした?」
ギシリと、ベッドのきしむ音が聞こえて優しい手が私の頭をなでた。それが本当に優しくて、止まりかけていた涙が再び頬を伝う。
「…な、泣くなよ。俺が泣かしてるみたいだから。」
少し慌てたように言うけど、それでもその手つきは変わらない。
「うん、ごめん…ごめんね。」
ディーノのお蔭なのかな?金縛りにあったかのように動かなかった体はいつの間にか動くようになっていて、両手で涙を拭うと起き上がってディーノと目線を合わせた。
「…怖い夢でも見たか?」
ディーノが私の額に自分の額を合わせてこつんと音が鳴った。静かすぎるこの部屋にそれはよく響いて私たちの耳に木霊する。
「うん…少しだけ。」
「そっか…怖い夢、俺もよく見るよ。」
夢の内容を聞かれるんだと思っていたから、その言葉キョトンとした。
「…リボーン君に怒られる夢?」
「ちげーよ、いやそれも十分怖いけどさ…。」
ディーノは額を離すと、今度は私を抱きしめるように背中に腕を回す。拒む理由もなく、それを受け入れると安堵するかのような吐息が聞こえてきた。
「が、いないくなる夢。」
「……え?」
思いもよらない言葉になんて言ったらいいのか分からない。
「俺は駄目な奴だから、いつかお前に愛想尽かれるんじゃねぇかって気が気じゃないんだ。」
冗談でも言うような苦笑い、と表現するのがきっと正しい。そんな風にディーノは言った。
「そんなの…ある訳、ないのに。」
私が、ディーノに愛想尽かすなんてありえない。きっと何十年たっても私はディーノにベタボレだろうから。
「それに愛想尽きちゃうのは…ディーノの方だよ、きっと。私はいつまでたってもディーノに迷惑かけてばっかりで、隣に並んで歩けない。いつまでたっても、追いつけない…。」
どれだけ一生懸命走っても、うまらない距離がある。手をこれでもかと伸ばしても、つかめないものがある。ディーノはいつも、私をすり抜けていってしまう。
「ばーか。それはお前の方が、前にいるからだよ。」
追いつけないのは俺の方だ、そうディーノは呟いた。
「な、に…言ってるの?そんな訳…ないよ。」
「あるよ。お前は…は俺より前にいる……出会った時から、な。」
懐かしむように目を細めるディーノに、何も言えなかった。あの頃の私は、何を考えて生きていたのだろう。きっと、何も考えていなかった。それほどまでに、生に執着していた。そんな私が、ディーノより先に行っていたなんて考えられない。
「、約束してくれ。」
「え…約束……?」
「俺はお前が前にいると考えてる、けどきっとお前は俺の方が前にいるって思ってるんだろ。だけど、俺はお前と一緒に進みたいんだ。前後じゃない。隣、だ。」
肩を捕まえれ、目の前にはディーノがいる。視線を反らすことなんてできなくてじっと見つめるディーノの目は真剣そのものだった。
「…うん、私も、だよ。一緒がいい。隣がいい……。」
「だろ。」
「…でも、どうすれば隣に行けるのか…分からないよ。」
今度こそ視線を外してうつむいてしまう。ずっと考えても出てこなかった答え、見つけることはできないと諦めかけていた。
「そんなの簡単だ、ほらっ。」
ぎゅっとディーノが私の手を握った。
「俺は此処にいる、お前の、隣だ。」
「………」
思いもよらない言葉に目がまん丸と開いてしまう。ディーノは少しだけ恥ずかしそうにしながらも、その手をぎゅっと再度強く握ってきた。
「……っぷ、」
「んなっ!?なんで笑うんだよ!!」
「だって、そんな言葉遊びみたいな……」
「わ、分かりやすくていいだろ!!」
「ふふ、そうだね…ディーノらしくていいかもしれないね…。」
「俺が単純思考回路って言いたいのかお前は…。」
さっきまで泣いていたのに、いつの間にか心は軽くて。あぁ、これが隣にいることなのかもしれない。そう思った。
「ディーノ。」
「な、なんだよ!」
小言を言われるのと思っているのだろう、ディーノは目線を斜め上に向けたままだった。
「約束するよ、私も。」
今度は私の方から、ぎゅっと手を握り返す。
「ディーノの隣にいる。」
驚いたように私を見る。
少し赤くなった顔のディーノが嬉しそうに笑みをこぼした。
「…本当に、大丈夫なのか?」
「うん…今のところ。」
大きな音を立てて車内が揺れた。小刻みに動くそれを、今まで体験したことが無くてなんだか不思議な気分だった。
「気持悪くなったら、いつでも言えよ。頼むから無理すんなよ。」
「もうそれは何回も聞いたよ。それにほら、」
右手を持ち上げると同時に、ディーノの左手も上がる。
「ディーノが、いるから。」
前後じゃない、左右の関係。
ずっと望んでいたそれは、すぐそばにあったのだ。
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…たぶん今までで一番長いお話です。
だって4000字突破しちゃったもん。ビックリ。
ある意味レポートより長いよ…。長すぎだーって思った方…スイマセン;
UNシリーズ(と自分の中で勝手に言ってた笑)これで一応完結です。
宝物→手紙ときて、今度は「約束」でした。
大事なことってすぐそばにあるのに、気付かないものだよね。っていうお話でした。
優しい気持ちになれたらいいなと思って書いてました。
ではここまで読んで下さりありがとうございました。
2011.2.5