わーぉ!
きっと今の状況を一言で当てはめるなら、これ以外にないと思う。もちろん声には出さないけれど(出したらきっと咬み殺されてしまうから)
私は自身の身長と同じか少し低いくらいの高さまである書類の山をまじまじと見つめた。机の上に乗っている訳だから実際には私よりは低いんだけど…それでもこんな高さにまで積みあがっている紙束を見るのは初めてだ。
「と、言う訳で…」
青い顔でそう切り出した。
私を見つめる部下たちの顔が一瞬にして私よりも青く染まっていく。頼むからそれ以上言わないでくれと懇願する目を無視して(というか私も同じ気持ちだ…)一旦切った言葉をつなげた。
「…我らが管理部に回ってきた、今日の仕事です。」
あえてにっこりと笑って言うと周りからため息が聞こえてきた。私のスマイルではこの状況を打破することはできないらしい…残念。
「あの…部長……」
手前の方に座っている最近配属された青年が右手を微かに震わしながら上にあげた。
「ん、なに?」
「ちなみにこれ、いつまでですか……ま、まさか………」
その質問に辺りがしんと静まる。
部屋にいる全ての人が私の返答を待っている。
「……」
「………」
「…ノ、ノーコメントで。」
その期待感や不安感を背負いきれる人は、果たしているのだろうか。そんな人に出会うことができたのなら、握手をしてサインをもらおう。そう心に誓った。
「部長ぉぉぉ!!まさか、本当に…」
「…いやぁ、雲雀さんにも困ったもんだよね…。」
「お願いだから否定して下さいよ――――!!」
がくがく肩を揺さぶってくる部下は半泣きだった。
私だってこの書類が部屋に運ばれてきた瞬間思わず運んできた草壁さんに「泣いてもいいですか?」と聞いた位だ。あ、ちなみに草壁さんの返事は「力になりたい所なんだが俺も別の仕事があってな…。……ま、まぁいつかいいことあるさ…」で、泣いたらいいのかいけないのかという返答は後回しにされた。というか完全気諦められた気がする。
「…と、言うことで。明日の朝8時までに全部終わるよう頑張りましょー。」
やけくそ半分でそういうと部下たちも元気なさげだがおぉー…と返してくれた。
嘆いたって書類が減ってくれる訳ではない。やるしかないんだ。
腕まくりをしながら書類の束を手に取った。
「部、部長…」
「うん………」
恐る恐る、書類にペンをあてる。
カリカリという独特な音を立てて私の名前がそこに記された。
「……」
「………お、」
「終わった――――!!」
わぁぁぁ!!という歓声と共に辺りが喜びに包まれる。
既に窓の外は何も見えない黒に染まっていて、現在午前3時。ご近所さんに非常に迷惑な時間帯だが気に留める人は誰もいない。そもそもこの屋敷の近くに一般住宅なんてないのだから。
「はぁ…まさか本当に終わるとは…いや、終わらせなきゃ俺が終わってたけど。」
「期限までに終わらないと雲雀さんに咬み殺されるもんな…まぁ部長は別として。」
「あー…理不尽だ……部長は別として。」
じぃぃぃっという視線を感じて流石に無視することもできず、そちらに目を向ける。
「もう、いい大人が何グータラ言ってるの。いっとくけど書類終わらなくて一番怒られるのは私なんだからね。」
そういうと部下たちは不満げだったが何も言わなかった。
たしかにいくら雲雀さんといえど恋人を咬み殺すことはしない。だけど部長という立場にいる以上、失敗をして厳しく怒られるのは私だ。あれはあれで怖いんだよ…心の中で呟いたはずだったのに不満げだった部下の顔はいつの間にか憐れみに変わっていた。
「とりあえず、書類も片付いたことだしもう上がってもいいよ。」
「え、でもまだ整理とかしないと…」
全て目を通したとはいえ、まだ完全に仕事が終わった訳ではない。書類を種類別に分類してページ順に並べる、そうすることでこの仕事が終了したといえる。
そのことはここにいる全員が知っていることだった。
「後は私がやっとくよ。整理だけならそんなに時間かからないし。」
「でもこの量っすよ…?」
確かに、量は多い。皆でやった方が早く終わるだろう。だけど今ここで、全員でこれをするのは間違っている。
仕事は今日だけではない、明日だってあるのだ。今ここで全員が徹夜してこの仕事をやったら、明日の仕事はいったい誰がするのだろうか。早く終わるといっても運が良ければ5時だ。そこから寝ても逆に眠さが増すだけだ。
「大丈夫だって!その代わり、皆明日頑張ってよ。」
そんな意味を込めて笑ってそういうと、大方の部下が気付いたらしい。
少し間をおいて分かりましたという声がぽつぽつと聞こえてくる。
できた部下を持てて私は幸せだなぁと、そう思う。それだけで疲れが少し取れた気がした。
「…さて、頑張りますか。」
先ほどまで10人いた部屋に今は私一人。
しんとなった部屋でそう呟くと頑張って下さいという部下の声が聞こえる気がして胸のあたりが温かくなった。
「朝日が目に痛いです。」
雲雀さんの執務室に入って第一声にそういうと、呆れた顔で盛大にため息をつかれた。
「知らないよ、そんなの。」
7時半と言う早い時間だからまさか雲雀さんがいるとは思わなくて、こんな予想外なことを言ってしまったが、事実は事実だ。置いて帰るはずだった書類終了しましたというメモを近くにあったゴミ箱に捨てると大きく伸びをした。
「それにしても雲雀さんがこんな朝早くいるなんて…珍しいですね。」
いつもなら9時過ぎに着たらいい方なのに。少し皮肉めいているのはきっと眠さによる苛立ちのせいだ。
「……。」
「な、なにか…?」
もしかして怒っちゃったかな。何も言わない雲雀さんに思わず身構えてしまう。
「二人の時は名前で呼べ、って言ったはずだけど。」
「へっ?…だ、だって今は仕事中…」
「関係ないよ。」
「………。」
「………。」
「……恭弥さん。」
どうやら違う意味で怒っていたらしい雲雀…恭弥さんは、私の呟きに満足したような顔になった。
「早く来たのはそろそろ終わると思ったから。」
「え、何が……もしかして書類…ですか?」
「うん。」
……?!
あの恭弥さんが仕事を待っていた?!
明日は…というか今日は槍でも降ってくるのかもしれない。確かに人並みに書類はこなしていると思うけれど、書類のためにわざわざ早起きするなんて明らかにおかしすぎる!!
私が目を白黒させているのを気に留めることなく、恭弥さんはソファに座って本を広げた。
って、あれ?書類待ってたのに目通さないのかな?
「おいで。」
「え…??」
言ったことの意味が分からない訳ではない。だけど明らかにおかしい話の流れについていけない私はそこで呆然と固まったままだった。
「早くしないと気が変わっちゃうよ。」
「??はぁ…。」
よく分からないまま、それでも早くしないと何かを損をするということになるらしいので大人しくその言葉に従う。
「…わわっ!」
雲雀さんの隣に座った瞬間、思い切り頭を引っ張られて倒れこむ。そこにあったのは柔らかいソファの感触、ではなくてほのかに暖かくて少し硬い何かだった。
何が起きたのかよく分からないまま数秒がすぎ、段々とその状況を理解するにつれて顔が赤く染まるのを感じた。
も、もしかして私…恭弥さんに膝枕してもらってる?!
「きょきょきょ、恭弥さん?!」
「ウグイスみたいだね、君。」
「いやいやいや!!そういう問題じゃなくて!」
なんでこんなことになっているのかさっぱり見当がつかなくて戸惑うばかりの私の頭に雲雀さんの大きな手が置かれた。
少し引っ張られる感じがしたと思うと、シュルリと音を立てて髪ゴムが外された。仕事中は邪魔だから一つにまとめられていた髪が重力に逆らうことなく下方へと流れ落ちていく。
「そろそろ終わるころだと思ったから、待ってた。」
そういったでしょ、と先ほどの言葉が繰り返された。
そこではたと気がつく。もしかして雲雀さんが待っていたのは書類ではなくて……私?
い、いやいやいやそんなまさか。そうであってほしいという単なる願望だよこれは。
「きょ、う…」
「お疲れ様。」
確かめたくて名前を呼ぼうとした私の口に指をあてると、恭弥さんは柔らかくほほ笑んだ。そんな顔を見てしまって赤くならないはずはなくて、赤くなっていたはずの顔の温度がまた上昇した。あぁきっと耳まで赤くなってるんだろうな…。
「…真っ赤。」
「う、だって、恭弥さんがいきなりこんなことするから……」
恥ずかしいっていうのもあるけど、情報処理に追いつかない頭がパンク寸前なのかもしれない。
これは…私を待っていてくれた、そう思ってもいいのだろうか。
そんな、都合がいい風に考えても…いいのだろうか。
「…何も考えなくていいよ。」
ゆっくりと私の髪を辿るようになでる恭弥さんの手が、その少し低めの声が、温度が、とても心地いい。
次第に視野が狭くなるのを感じるけれど、それを止めることはできなかった。
「今はゆっくり休みなよ。」
その声を最後に、私の意識はどこか遠いところへ飛んでいった。
全てのあと、
(たどり着く先は、いつも同じ処)
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テーマは雲雀さんに膝枕&お疲れさまと言って貰うということでした。
全国の受験者様へ、お疲れ様ですという意味を込めて。
ということで、受験生だった方はお持ち帰りOKです。
…いる人がいれば、の話ですが;
ではここまで読んで下さりありがとうございました。
2011.3.17